統一教会問題で「政教分離」という言葉が独り歩きしている危険な兆候【仲正昌樹】 |BEST TiMES(ベストタイムズ)

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統一教会問題で「政教分離」という言葉が独り歩きしている危険な兆候【仲正昌樹】

「政教分離」という言葉を、理解しないままやたらと使いたがるお子様な人たち

■「反社」という言葉を安易に使う風潮がいかに危険か

 

 日本の場合、憲法二〇条で政教分離が定められているが、天皇制(憲法一~八条)がかつて国家神道と制度的に結び付いており、天皇の地位の継承が、記紀等の神話に基づいている以上、天皇制自体が宗教性を帯びていることは否定できない。天皇制と関わる各種の儀礼や、各地の風習になっている神事に国や地方公共団体が関与することは「政教分離」違反なのではないかをめぐる違憲訴訟は少なくない。

 「政教分離」は、特定の教団が他の教団や異なった世界観を持った人たちを、国家機関を利用して迫害・抑圧しないよう、国家機関を出来るだけ中立に保つための制度的な抑制だ。これをやったら、即アウトというような普遍的ルールがあるわけではない。

 日本国憲法二〇条で、「いかなる宗教団体も……政治上の権力を行使してはならない」と定められているが、これは特定の宗教団体が、国会や内閣などの統治機構と組織的に一体化して、直接的に権力行使することを指していると解すべきだろう。そうした組織的な融合の禁止以上のことを意味しているとしたら、おかしなことになる。

 宗教が自らの教義に基づいて、妊娠中絶や同性婚、教育、性表現、環境、安全保障などのテーマで独自の政治的主張を掲げ、それを政治家や法律家、ジャーナリスト、官僚などに働きかけることを一切禁じるような法律を制定している近代国家はない。そんなことをすれば、それこそ思想・信条の自由の侵害になる。

 最近、アメリカの最高裁による判例変更が大きな話題になった、妊娠中絶をめぐる論争では、福音派と呼ばれる、聖書の教えに忠実であることをモットーとする保守的なプロテスタントの諸集団が、反中絶運動を牽引し共和党の一部に強く働きかけてきた。ヨーロッパには、キリスト教民主主義を名乗る政党が多くあり、それらは政権与党や第二党になっている。

 統一教会であれ、他の宗教団体であれ、自分たちの宗教的理想の実現に協力してくれそうな政党や政治団体を支援し、影響を与えることが、政教分離の名の下に否定されるということはない。ここを理解しないまま、“政教分離原則”違反などと言い出すと、お子様な話になってしまう。

 問題は、その働きかけの目的が、その宗教を信じていない人たちとも共有可能な理想ではなく、その教団に固有の利益を得るためであり、それによって政治や法が歪められてしまうことだ。その場合は、二〇条の「いかなる宗教団体も、国から特権を受け……てはならない」に違反していることになる可能性がある。

 ただ、先に述べたように、宗教団体であれ、他の圧力団体であれ、政治家に会って働きかけること自体は違法ではない。贈収賄のような分かりやすい問題を除いて、政治家がどのような種類の働きかけ――信仰をたてにした脅迫的な説得、選挙での支援を見返りにした取引…――を受け、どのような行動を行ったら、その宗教に不当な便宜を与えたことになるのか、はっきりした基準を作るのは難しい。

 旧統一教会の場合、勝共連合や天宙平和連合(UPF)のような関連組織を作って、それを介して政治家に働きかけたり、選挙協力したりすると、関係性が分かりにくくなっている、という固有の問題はある。この際、旧統一教会と政治の関係を、はっきりさせておくべきだと、元信者としても思う。ただ、そうは言っても、法律で「宗教団体と関係が深い政治団体は、その内容を公表する義務がある」というようなことを定めようとすると、「関係が深い」ということをどう定義するのか、という問題が生じる。下手をすれば、政治団体の会員の思想・信条をチェックしないといけない、ということになってしまう。特定の宗教団体に限定した情報公開義務を定めることは、法の適用対象の「一般性」という観点から見て無理がある。どういう制度にするのが妥当か、慎重に考える必要があろう。

 元信者でもある私がこのようなことを指摘すると、短気で自分の聞きたい話以外は全て雑音に聞こえてしまうお子様たちが、「仲正はやはり洗脳が解けていない(現役信者だ)。統一は普通の宗教ではない、反社ではないか。政治家が反社と付き合っていいはずがない」、と騒ぎ出しそうだが、いい年したお子様はもはや治しようがないので、放っておくしかない。聞く耳がある人向けに言うと、統一教会を“反社”と認定するのはいいとしても、どういう基準で、認定するのか、それが問題だ。少なくとも現段階では、旧統一教会を暴力団と同じように扱うことを正当化するような法的根拠はない。法的根拠もないのに、法律に詳しいはずの人まで含めて、安易に「反社」という言葉を使う風潮は危険だ。旧統一教会に限らず、マスコミやネットで叩かれた団体は、イメージだけで、“反社”にされてしまう危険がある。

次のページ“反社”認定はお子様たちが思っているほど簡単な話ではない

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仲正 昌樹

なかまさ まさき

1963年、広島県生まれ。東京大学総合文化研究科地域文化研究専攻博士課程修了(学術博士)。現在、金沢大学法学類教授。専門は、法哲学、政治思想史、ドイツ文学。古典を最も分かりやすく読み解くことで定評がある。また、近年は『Pure Nation』(あごうさとし構成・演出)でドラマトゥルクを担当し、自ら役者を演じるなど、現代思想の芸術への応用の試みにも関わっている。最近の主な著書に、『現代哲学の最前線』『悪と全体主義——ハンナ・アーレントから考える』(NHK出版新書)、『ヘーゲルを超えるヘーゲル』『ハイデガー哲学入門——『存在と時間』を読む』(講談社現代新書)、『現代思想の名著30』(ちくま新書)、『マルクス入門講義』『ドゥルーズ+ガタリ〈アンチ・オイディプス〉入門講義』『ハンナ・アーレント「人間の条件」入門講義』(作品社)、『思想家ドラッカーを読む——リベラルと保守のあいだで』(NTT出版)ほか多数。

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